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2011年5月

2ヶ月

あの日私は、冬物のコートを慌てて羽織り、

ロッカーからバッグをひったくるようにして会社の外へ出た

職場の先輩と二人、高層ビル群の合間の小さな公園で、

震える体を自分で押さえつけながら、

揺れが治まるのを待った・・・

初めの小さな揺れは、

これまでに何度も経験してきたものと変わらなかったけれど、

ほんの数秒後には、はっきりと、いつもと違うキケンを感じた

いつも疑いもしない建物の、軋み音を聞き、

揺れるはずの無い目の前の高層ビルが揺れるのが見え、

あちこちから悲鳴が聞こえ、道を歩く人がうずくまり、

来るべき時がきたのかと、身構えた・・・

その瞬間から始まった東日本大震災・・・

交通機関が止まって途方にくれていた駅の風景も、

5時間近く掛けて歩いて帰った甲州街道の、

排気ガスの臭いも覚えてる・・・

靴擦れの痛みも、膝の痛みも、

一生忘れないと思っていたけれど、

2ヶ月経ったいま、

少し忘れ始めている・・・

毎日毎日聞くたびに震えていた緊急地震速報の音も、

計画停電のスケジュール表も、

キャンドルもラジオも懐中電灯も、

今は出番が無くて、今日片付けた・・・もちろんすぐに出せるところに

こうして忘れていくんだろうか

一日も早く復興って、こういうことなんだろうか

あの日着ていたコートは、クリーニングに出して仕舞った

復興の影

今日で震災から50日が経った・・・

昨日は四十九日の法要が宗派を問わず行われたとのこと、

昨年夏の父の四十九日を思い出していた・・・

88歳で旅立った父は、

最後の最後まで生き切ったと、家族の誰もが納得できるものだった

とても幸せな一生だったと思う

だから私達遺された家族は、日常に早く戻ることが出来た

父の存在をそこここに感じながら、

やはり遺品を見るのは辛かったけれど、

だからと言って処分など出来るはずもなく、

これは時間が薬だと、寂しさも素直に受け入れられた

それは通夜から始まる一連の儀式を執り行うことで、

受け入れることが出来たと思う

法要にでた被災者の中には、行方不明者の家族も多かったとのこと

たとえ亡くなったとしても、姿を確認出来れば、

辛いけれど気持ちの踏ん切りがつく

でも行方不明の場合、

どこで気持ちの区切りをつけることが出来るのだろうか

世の中は、もう「復興」に向かって動き出している

被災者の中でも、かなり明暗が分かれてくる

「復興」という言葉を、いったいどのような気持ちで聴いているのだろうか

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