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ホットケーキミックスでパン作り

忙しいんだけど、ついつい料理も手抜きになるんだけど、

時々ちょっとなんか作ってみたくなる・・・

ホットケーキミックスさえあれば^^

今日は、かねてから興味はあったものの、

なかなか作れなかった超シンプルなパンを作ってみた

材料は、

 ホットケーキミックス   200グラム

 水  100cc

 ちょこっと薄力粉

これだけ^^

これを混ぜ合わせて、こねて丸めて、

180度のオーブンで30分焼くだけ・・・

Photo

なんで今までが腰が上がらなかったのかと思うくらい、

簡単でした・・・

私は今回小麦ふすまを混ぜてみた・・大匙2杯くらい

もともとお粉に砂糖が混ざっているので、

ほんのり甘いパンになりました。

明日の朝食用にしようと思います♪

Photo_2

暑い・・・

今日は11月のもう20日・・・

それなりに冬の到来を感じる毎日にではあるけれど、

着ているコートは、春先用の薄手のスプリングコート・・・

それに薄手だけど幅広のカシミアマフラー・・・

それでも、昼間だと汗をかいてしまう

天気の良い日の日中に、電車に乗ると「これ、軽めの冷房か?」というほど、

涼しくて気持ちが良い^^

何度も言うが、11月中旬過ぎである・・・

ウールコートの出番は、まだ少し先の様子だわ・・・

久々~~

何だろうな~・・・毎日来てるのよ、ここに。

なんだか吐き出したいことも山ほどあるのに、書く気力がわかないの

毎日仕事仕事、家に帰れば家事にお猫の世話・・・

土日は歌の練習・・・一日ダラ~~~~ンと出来る日が、

ここ半年ほど無い・・・

老眼は急激に進むし、足腰痛いし、風邪引けば長引くし、

そして治ったと思った咳が、ぶり返す・・・

今度も咳喘息の疑いで、前回より強いステロイド剤・・・

いやだけど、結構長いこと続けなきゃならないけど、

仕方ない・・・

仕事は、小さな小さな電話代行サービスのオフィス、

かなり性格に問題ありの女性二人と私の三人、

この9月からは、代表者交代で新しい社長♂になったけれど、

会社の質はさらに悪化・・・

社長♂といろいろ話をするけれど、

すればするほど、やる気が無くなっていく・・・

だから12月末で退職することにした・・・

二人の女性スタッフは、

また訳の分からない理屈で私を脅迫するけれど、

もう気持ちが離れてしまった私には何も効かない・・・残念ながら・・・

2年間で学んだことは、間違いなく私の身にはなったから、

この時間は無駄ではない・・・てか無駄にしてはいけない・・・

ほんとに疲れたわぁ・・・

でも、お猫たちは元気だし、最近相方さんが夕食作りに目覚めたようだし、

小さいけど良いこともそこそこある・・・

またこんな感じだけど、始めようかなぁ・・・

2ヶ月

あの日私は、冬物のコートを慌てて羽織り、

ロッカーからバッグをひったくるようにして会社の外へ出た

職場の先輩と二人、高層ビル群の合間の小さな公園で、

震える体を自分で押さえつけながら、

揺れが治まるのを待った・・・

初めの小さな揺れは、

これまでに何度も経験してきたものと変わらなかったけれど、

ほんの数秒後には、はっきりと、いつもと違うキケンを感じた

いつも疑いもしない建物の、軋み音を聞き、

揺れるはずの無い目の前の高層ビルが揺れるのが見え、

あちこちから悲鳴が聞こえ、道を歩く人がうずくまり、

来るべき時がきたのかと、身構えた・・・

その瞬間から始まった東日本大震災・・・

交通機関が止まって途方にくれていた駅の風景も、

5時間近く掛けて歩いて帰った甲州街道の、

排気ガスの臭いも覚えてる・・・

靴擦れの痛みも、膝の痛みも、

一生忘れないと思っていたけれど、

2ヶ月経ったいま、

少し忘れ始めている・・・

毎日毎日聞くたびに震えていた緊急地震速報の音も、

計画停電のスケジュール表も、

キャンドルもラジオも懐中電灯も、

今は出番が無くて、今日片付けた・・・もちろんすぐに出せるところに

こうして忘れていくんだろうか

一日も早く復興って、こういうことなんだろうか

あの日着ていたコートは、クリーニングに出して仕舞った

復興の影

今日で震災から50日が経った・・・

昨日は四十九日の法要が宗派を問わず行われたとのこと、

昨年夏の父の四十九日を思い出していた・・・

88歳で旅立った父は、

最後の最後まで生き切ったと、家族の誰もが納得できるものだった

とても幸せな一生だったと思う

だから私達遺された家族は、日常に早く戻ることが出来た

父の存在をそこここに感じながら、

やはり遺品を見るのは辛かったけれど、

だからと言って処分など出来るはずもなく、

これは時間が薬だと、寂しさも素直に受け入れられた

それは通夜から始まる一連の儀式を執り行うことで、

受け入れることが出来たと思う

法要にでた被災者の中には、行方不明者の家族も多かったとのこと

たとえ亡くなったとしても、姿を確認出来れば、

辛いけれど気持ちの踏ん切りがつく

でも行方不明の場合、

どこで気持ちの区切りをつけることが出来るのだろうか

世の中は、もう「復興」に向かって動き出している

被災者の中でも、かなり明暗が分かれてくる

「復興」という言葉を、いったいどのような気持ちで聴いているのだろうか

«復興